4.7km
1.物井駅西口スタート
2.鹿島川(のばらの散策ロード)
3.えのきの木
4.薬師堂
5.三峰神社
6.東向井城跡
7.常福寺跡
8.秩父34番供養塔・お地蔵さま
9.ハガキの木
10.物井道祖神
11.長屋門
1.物井駅西口スタート
明治27(1894年)7月20日 市川~佐倉間 総武鉄道開通
明治43(1910年)11月 物井信号上設置 *昭和11年4月5日 物井駅となる
約3万年前!初めて四街道に人が住み始める。*出口・鐘塚遺跡(現もねの里)国内最古級の石製ペンダントが発掘された。
小屋ノ内遺跡(現物井地区)の環状ユニット石器群が発掘された。
2.鹿島川(のばらの散策ロード)
ノイバラ(野茨)は薔薇科の落葉樹のつる性低木で、日本の「のばら」の代表的な種。
沖縄以外の日本の各地の山野に多く自生する(野薔薇)とも言う。
高さは2mぐらいになる。
四街道の花期は5月10日から5月下旬。
白色または淡紅色の花で5弁あり、径2cm程度。
秋には果実が赤く熟す。
森林に出ることはあまり見ない。
野原や草原、道端、河川敷などに生える。
3.えのきの木
オオムラサキのレストランだよ!
オオムラサキは日本の国蝶として有名です。切手にもなっています。幼虫はえのきの葉を食べ、成虫は樹液を吸っています。えのきの葉が出始めると、落ち葉の裏で冬を越した幼虫は一匹づつ幹を登り始めます。
4.薬師堂
薬師如来を本尊とする仏堂の呼称である。
病気平癒等の現世利益に効験のある仏として信仰されている。
5.三峰神社
ここ三峰神社の碑にも「我々の先祖は徳川時代より三峰神社を深く信仰し、毎年代参を送り御眷属の奉安所として・・・」とある。
社伝によれば、景行天皇(71~130年、けいこうてんのう)の時代、日本武尊命が東征の際、碓井峠に向かう途中、埼玉県三峰山に登り神社を創建したという。
五穀豊穣・大漁満足・夫婦円満・開運長寿の願いが込められ、子授けに奇瑞があると言われている。
6.東向井城跡
薬師堂の隣接地で標高33.5mの台地に現存しているが、北側は土砂採取または崩落のためか半分は存在しない。
全体規模としては170m×150でmで主郭規模は50m×50m。
小規模の郭数は6と多くあり、軍事の重要拠点であった。
7.常福寺跡
常福寺はある年の「日光水」で流されてしまったとのこと。
住職の墓石と思われる卵塔が残されている碑面には、元禄25(1697年)丁丑(ひのとうし)10月12日、権大僧都鏡慶律師(ごんのだいそうずきょうけいりっし)とあった。
丁丑は元禄10年のことで、元禄25年とは2×5の10である。
伝承では、常福寺の仁王様は流され「下根」に着き、「岩名」に置いてあり仁王様の足の裏には「山梨」と書いてあったと伝えられている。
臼井台にある大沢山実蔵院は不道明を本尊とする真言宗豊山派の寺院で、円福寺(物井)は末寺である。
宝蔵院(物井)、林光院(亀崎)、西光院(内黒田)、常福寺(山梨)が孫末寺であった。
8.秩父34番供養塔・お地蔵さま
秩父34番所、西国33ヵ所、坂東33ヵ所併せて日本100観音という。
その結願寺は34番水潜寺で、結願したら、長野の善光寺に参るのが慣例となっている。
9.ハガキの木
多羅葉(たらよう)別名「ハガキの木」とよばれている。
常緑高木でモチの木科。
葉の裏側に尖ったもので書きつけると茶色に変色して、やがてくっきりと文字が浮き上がる。
このことから、ハガキの語源になったと言われている。
耐火性があるので神社や家の周りに植えて、防火壁に使用されていたとのことである。
健康茶としても飲用されていた。
1日5~10gの乾燥葉を一度沸騰させて弱火でしばらく煎じ、1日に何度かに分けて飲む。
腎臓病予防(利尿)にいいと言われている。
10.物井道祖神
路傍の神である。
村と村の境、集落と集落の境、道の辻、三叉路などに石碑や石造の形態で祀られる神で、村の守り神、子孫繁栄、近世では旅や交通安全の神として信仰されている。
古い時代のものは、男女一対を象徴するものになっている。
平成19年10月吉日 花光昇一、須藤幸男、桜井克己と鳥居の柱に刻まれている。
11.長屋門
近世諸大名の武家屋敷として発生した形式で、江戸時代に多く建てられた。
諸大名は、自分の屋敷の周囲に、家臣などの為に長屋を建て住まわせていたが、その一部に門を開いて、一棟とした物が長屋門の始まりである。
また、苗字帯刀を許された裕福な農家・庄屋でも長屋門は作られた。
更に明治以後は、他の富農の家屋敷にも作られるようになった。
四街道市内に18現存しています。